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2014年の振り返り

歌評・歌集評を書くことが多かった

短歌や歌集の評を求められることが多い一年でした。同時に、普段から歌集を読み、評するちからを磨いておかなければと、振り返って反省することが多かった一年でもあります。

歌集を評するにあたって、同じ歌人の過去の著作をできるかぎり読むようにしていますが、これにはかなり苦労しました。古い歌集ほど入手は難しく、著作が多いほど費用もかかります。過去にどのような評価を受け、どこに課題があると指摘されてきたのかといった、著者周辺の文章となると、把握するにはさらに手間暇がかかります。

背景には、歌集の発行数が少ないことや贈答文化、評の依頼方法とその慣習が複雑に絡み合っているように感じます。同じ苦労を、将来の世代に引き継がないためにはどうすればいいのか、そんなことを時折考えました。

仕掛けと仕組み

前項のふつふつとした思いや、これまで短歌に関わるなかで感じてきたことが煮詰まって、短歌ポータルtankaful のリニューアルに繋がりました。とくに後先を考えずに、集中して改修作業にあたり、気がつけば原稿依頼を出していました。毎月の更新作業は、正直大変ではありますが、ひとつの「仕掛け」がやがて大きな「仕組み」となるよう、育てていければと思っています。

tankafulにて、「試験に出ない短歌の数字」という連載記事を始めました。内容は毎回、新人賞の応募数や結社の数などをかぞえて視覚化する、というものです。物事すべてが数字で測れるものではありませんが、「短歌人口が減っているようだ」や「若手が賞応募に増えているようだ」と感覚で話しているだけでは、何も変わらないように感じています。短歌の広がりや、若手の活躍は誰しもが願うことですが、その変化が測定できないのであれば、どんな取り組みも自己満足の範囲だ言われても仕方がないのではないでしょうか。

作歌ペースは昨年同様多かった

2014年に詠んだ歌は、現時点で掲載されていないものを含めると150首ほどになり、昨年同様の数となりました。結構大変で、毎回唸りながら詠んでいます。第2歌集『うづまき管だより』移行の短歌も300首以上溜まったことになりますので、そろそろ次の歌集について考えはじめることになりそうです。

「2014年にしたいこと」はできたのか

2013年の振り返りにおいて、2014年には「より多くの短歌評論が書かれるための環境づくり」と「より多くの人が短歌に触れるためのきっかけづくり」に取り組みたいと書きました。後者は、tankafulのリニューアルをきっかけに取り組み始められたと思っていますが、前者はまだ手付かずです。おそらくは、tankaful内での取り組みとなると思いますが、2015年は前者にも取り組めればと思っています。

2015年にしたいこと

・より多くの短歌評論が書かれるための環境づくり

前項に書いた通り、昨年の積み残しです。評論は書かれているのか、書かれていないのか。書かれているのに読まれていないのか。いろいろな意見があると思っています。いずれにせよ、評論を書く方の視点に立てば、資料の捜索や原著の確認など、地道で手間暇がかかることは多いはずです。その点を少しでも解消できればと思っています。

・短歌以外の分野での制作活動

普段、デザイン制作の仕事も行っていますので、今年は「書く」だけではなく「描く」ことでも、世の中に問えるものを多く産み出せればと思っています。どれだけ年をとっても、やってみたいことはやりたいし、行ってみたいところには行きたいものです。その気持ちは大切にしたいと思います。

・短歌について学ぶ

...毎年、頭の隅で思っていることですが。いいかげん付け焼き刃もしんどくなってきましたので、読むべきものを計画的に読むようにします。

2015年が実りのある一年となりますように。

■ 本データについて

Amazon Kindleストアで電子書籍を出版するためのサービス「Kindle ダイレクト・パブリッシング (KDP)」用の、電子書籍元データを公開いたします。内容は、私が2012,2013年にKDPにて歌集を出版した際に用いたファイルを元にしており、歌集や句集でよく見られるレイアウトを再現したものです。

本データは、法人・個人を問わず、また、有償・無償を問わず、自由に改変して使用することができます。元データを私が作成したことを明記する必要もありませんし、使用にあたって事前事後の連絡も必要ありません。

電子書籍に関する規格は多岐にわたり、それぞれが更新されていきます。また、各種電子書籍端末やアプリも日々改良されていきます。本データは、あくまでも2013年の時点でKDPに申請して電子書籍出版にこぎつけたものを整理しただけのものです。各規格にただしく則っていることや、各端末での完全な表示を保証するものではありません。本データを利用されたことによる損害については、一切責任を負いませんので、自己責任の元でご使用ください。

本データを利用すれば、KDPでの歌集・句集の出版が多少は楽になるかもしれない。そんな気軽な気持ちでご利用いただければ幸いです。


■ データのダウンロード

データはこちらからダウンロードすることができます。(ファイルへの直リンクや、再配布は無用な混乱のもととなりますので、禁止とさせてください)


■ データを編集するにあたって必要な知識

詳細までを書くと大変な分量になってしまいますので、ひとまず2点のみ記します。(必要があれば、直接お会いしたときやお電話にてお話できればと思います)

  • EPUBを作成するにあたっての、各ファイルの意味や構造について、大まかに把握しておく必要があります。特に、EPUBは実質的にはZIP形式で圧縮したものですが、中身の先頭に"mimetype"ファイルが来ている必要があります。その点に注意しつつ編集する必要があります。
  • 本データの中身を見ながら、ある程度は見よう見まねで電子書籍を作成できると思われますが、独自のレイアウトや表示を行いたい場合にはHTML・CSSの知識が必要となることがあります。

■ 表示例

iPad の Kindle アプリでの表示例を示します。(背景色・文字色は、アプリ内の設定によるものです)






■ 公開に至った背景

短歌関係の出版社の方から「歌集を電子書籍にしようにも、外注で制作をお願いするとかなり高額で手が出せない」というお話をお聞きしました。現在の電子書籍の世界はホームページ黎明期同様の情況であり、各種規格や端末の仕様を把握しつつノウハウをもとに作成する必要があります。いわゆる「ホームページ作成ソフト」のように、誰でも気軽に電子書籍を作成できる環境が広がるまでには、もう少し時間が掛かるのではないかと思います。そのため、電子書籍を外注で作成すると高額になるのは致し方ないことなのかもしれません。

一方で、ホームページ同様、作ろうと思えば実質的なコストなしで電子書籍のデータを作成できるのも事実です。その溝を少しでも埋めることができればと思い、公開するに至りました。

歌集を電子書籍で出すことの是非については、ひとりひとり異なる考え方があると思います。とくに、短歌は自費出版が基本の世界ですので、紙の書籍と電子書籍の議論は費用の話に終着しやすいものかもしれません。それでも、両者は決して二者択一の関係にあるのではなく双補完的であり、長期的な視点では両方あることが望ましい、というのが私の考えです。

2013年の振り返り

短歌について話すことが多かった

昨年以上に、人前でお話する機会に恵まれた一年でした。

  • 連載企画「おもしろきこともなき世をおもしろく」第三回目 インタビュー記事 (東京新聞 2013-1-4)
  • ラジオNIKKEI 坪田一男の『大人のラヂオ』文化教養コーナー(2013-3-2)
  • 詩歌梁山泊第3回シンポジウム「詩歌トライアスロン」:パネリスト (2013-4-14)
  • 現代歌人協会公開講座  現代短歌 何をどう歌う2 第3回「私を歌う」(2013-6-19)
  • 第35回かりん全国大会公開講座「若手作品の現在」(2013-7-27)
  • 新鋭短歌シリーズ出版記念会 トーク・セッション第一部 歌集を出すかもしれないあなたへ(2013-11-30)

年初の東京新聞でのインタビュー記事、大人のラヂオ、では、自身のこれまでの活動を振り返るいい機会となりました。

万事がそうだと言えば、元も子もないのかもしれませんが、"なぜ短歌なのか"という問いには、気付けば短歌だったというしかなく、とても回答しづらいものだと思っています。

○○を選んだ、あるいは、○○に選ばれた、という物言いは聞き手にとても心地よく響くものだと思います。話す側としても、自身の足元を踏み固めるような高揚があるのかもしれません。そう言いたくなる物事には、何か長い影のようなものを引きずっている感覚があります。問われるべきは、なぜ○○であることを確認したくなるのか、ということだと思っています。

詩歌梁山泊のシンポジウムに参加し、様々な詩型や、詩型をまたがった作品を多く読む中で、その思いを強くしました。

異なる世代で意見を交わした「現代歌人協会公開講座」、同じ世代で意見を交わした「かりん全国大会」も自身の視野を広げ、異なる角度から短歌を見つめるきっかけになりました。また、短歌を包む短歌の世界全体について考える機会として、「新鋭短歌シリーズ出版記念会」も参加することができたことも思い出深いです。

文章を書くことと比べると、どうも話すという行為にはのちのちに残らないのではないか、という不安がつきまといます。その場限りの盛り上がりだけで、一切が流れていってしまうような感覚は、誰のあたまにもよぎるものだと思っています。

いつか振り返った時に、"ああ、あの会がきっかけだったね"と呼べるようなものにどうすればできるのか。私達がイベントや会の後にどう行動していくかは、とても大切なことだと思います。どんなイベントや会にも、宿題はつきものですから。

作歌ペースの増加

2012年の反省として、作歌ペースの減少があったこともあり、今年はかなり多くの歌を詠みました。数えると、およそ160首ぐらいですので、短歌を始めてから一番多かったと思います。

「GANYMEDE 59号」への参加や、リトルプレスの発行などがその要因です。結社や同人誌に所属していないと、作品発表の場は限られてしまいます。狩りに出るような気持ちで機会を獲得する気持ちが大切だと感じました。

石垣島へ引っ越しをしたことなど、私個人をとりまく生活環境も大きく変わってきていますので、来年も頑張って歌を詠みたいと思います。

2014年にしたいこと

個人的に興味があって、短歌に関する組織の数、歌集・歌書の出版数を調べて発表してきましたが、次はどうあるべきかを考えて、具体的な行動にうつしていく必要を感じています。その視点から、以下の二つについて2014年の内に少しでもいいので何かをできれば、と思っています。

・より多くの短歌評論が書かれるための環境づくり

歌の内容や発表方法が多様化する中で、世代間・同時代間の縦横両方向でこまなか寸断が発生しているように思います。すぐれた一篇の評論が、その断絶を繋ぐ骨となり、ある一群の短歌をひとつの立ち姿としてかたちあるものにすることを夢見つつ、まずは、なぜ毎年のように"評論は不作と言われるのか"と考え、書き手にとってほんの少しでも役立つような環境づくりをしていきたいと思います。

・より多くの人が短歌に触れるためのきっかけづくり

好きな歌の一首ぐらい、誰もが持っていていいんじゃないか、ということをよく思います。人に好きな歌を教えてもらう、なんてとてもどきどきする素敵なことですよね。どうすれば、そういう世の中に近づくのでしょうか。どうすれば、短歌に触れる人が増えるのでしょうか。

歌集・歌書の贈答文化については賛否の意見がありますが、私自身は贈答数の問題ではなく、発行部数の問題だと感じています。例えば、歌集を出した時に200部を贈答するとして、それが多いのか少ないのかは、何部を世に送り出すのかとの比較で決まるはずです。究極的には、短歌に興味を持つ人が増やす以外に、出版・販売事情を変えていける方法はないと感じています。

――歌集が売れない、歌集は売りにくい。その声や現実のサンプリングはもう今年十分しましたよね。その"次"は何なのかを考えて、手探りをしながら行動していければと思います。

2014年がよりよい一年でありますように。

歌誌・団体数と歌集発行数:2013年

画像は短歌研究社の「短歌年鑑」記載の「歌誌・団体数(概数)」と、「歌集発行数」グラフです。昨年末に続いて、今年も数を調べて更新しました。

2000年以降減少の一途をたどり、特に2007年からは大きく落ち込んでいた歌集発行数ですが、2013年は548冊と前年比で70冊(約15%)増えています。要因としては、景気が回復傾向にあることもありますが、書肆侃侃房による新鋭短歌シリーズなどの新しいこころみや、現代短歌社の第一歌集文庫を含めた歌集出版の増加に要因があるのではないかと思います。遡って調べてみないと正確なことはわかりませんが、少なくとも今年は約70冊の歌集が現代短歌社から出ているようで、2011年末に解散した短歌新聞社のあとをひきつぎ、大きく立ち上がってきた感じがあります。出版数については来年以降も注視する必要があるかと思いますが、ひとまず歌集出版数が増えたのは嬉しいところです。


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なお、角川短歌年鑑の「全国結社・歌人団体住所録」に掲載されている結社・団体数の推移は以下の通りです。
・2009年 589団体
・2010年 575団体
・2011年 565団体
・2012年 535団体
・2013年 516団体
さらに数が減っている情況です。各年度の年鑑を比較することで、具体的にどのような組織が増えて、また、減っているのかまでをつきとめたいところですが、また時間があるときに調べてみたいと思います。

今橋愛さんの歌集『O脚の膝』が2003年に北溟社から出版されて10年となります。すでに入手が困難な歌集となっていましたが、この度、電子書籍として復刊されることになり、そのお手伝いをさせていただきました。

『O脚の膝』は北溟短歌賞の副賞として発行されたものですが、歌集は自費出版を基本とすることもあり、少部数が短期間に世に出て、数年後には入手が難しいということが多くあります。

その回転の速さが、短歌の世界においてある種の推進力として機能している面はあると思います。また、歌集が入手できなくなったとしても、そのうちの秀歌が何首か残ればよいのでは、というのもひとつの考え方だと思います。

一方で、例えば歌集の批評における比較対象が極めて近視眼的になっていないか、ということが気になったりします。同時期に出た歌集を比べることに、特に理由はいらないでしょう。同時期に出た、だから比べたわけです。ですが、その理由の不要性は、批評におけるある種の思考停止にも繋がるように感じます。

10年前に『O脚の膝』という歌集が驚きを持って登場した。それが10年経った今どのように読まれるのか、とても興味があります。10年前とはまた異なるすぐれた歌が集から掘り出されるであろうと思うと、楽しくなってきます。

また、一冊の歌集の読後感を語り合うこと、それが同時代を過ごしたひとびとの間だけでなされるのは、とてももったいないことだと思います。この一冊が10年という世代差を繋ぐきっかけになると、嬉しいです。

こういった協力は今後も続けていければと思っています。


今回、電子書籍にするにあたり、一番考えなければならなかったのは『O脚の膝』が他行書きを基本とする記述である点でした。文字のサイズが自由に変えられることを特徴とする電子書籍では、意図せぬ箇所で改行が発生してしまいます。それを防ぐために、すべてのページを画像化してあります。歌を検索できることなどの電子書籍の利点の一部を削ることになりますが、結果、紙版の歌集と同じく一ページ一首組みにすることができました。

* なお、前ページを画像化したことで、Kindle PaperwhiteやKindleタブレットにおける「Amazon製の端末の無料3G」では書籍をダウンロードすることができなくなっています。WiFiに接続してダウンロードする必要がありますので、その点はご留意ください。

歌人のパレット

先日、ドラクロア、ゴーギャン、ゴッホらが使用していたパレットを写真で見た。様々な色をパレットに並べていた画家もいれば、少ない色でやりくりしていた画家もいて、実際の絵画作品と比べてみたりした。

語彙を絵の具として、歌の世界を描き出す。その意味では、絵も歌も同じであろう。ふと、色についての語彙を拾いつつ、河野裕子の歌の世界を振り返ってみようと思った。

これまでの歌集を読み返してみて、次の歌に目が留まった。

紙風船わが息吸ひこみ柔らかく古風な紅や緑ふくらむ  『歳月』
夏至すぎの陽ざしの中に咲き()めて古風な紅なり一重(ひとへ)ほうせん花  『家』
古いむかしの日本の色のくれなゐに一重ひき緊め椿が咲けり  『歩く』

「赤」に近い色ながら、「紅」という色は、どこか古い響きがするものである。「くれない」の語源は、「呉藍」(中国から伝わってきた藍)と聞くが、歴史に結びついた色と言えよう。そこに「古風な」「古いむかしの日本の」という念押しがなされると、まるで「古風な紅」と「古風でない紅」とがあるように感じられる。いや、河野裕子はその二種類の「紅」を見ていたのかもしれない。

色の厳密な表現という視点で、次の歌はどうだろう。

黒緋なすもみぢの山の戦げるを瀑布のごとく背後に聴けり  『ひるがほ』
山の()に扁たく鈍く光るみづ(ちがや)(あか)く丈低く添ふ  『紅』
絵馬(ゑんま)()みな横向きに(くろ)みつつ北野白梅町(みぞれ)に濡るる  『家』

黒緋(くろあけ)」は深めの緋色、「赭」は赤錆色に近く、「黝」は青みがかった黒色だが、いずれも普段の生活では馴染みのない色の名前である。しかし、字面や音からその色を想像することが、歌の読みへの積極的な参加に繋がり、歌を印象深くしているのではないだろうか。

色についての拘りがみられる歌の一方で、河野裕子は群生する草木に対して、多く金色を用いた。

夕べ早き露は()りゐて菜の花の黄金色(きん)のほの闇はな閉ぢゐたり  『ひるがほ』
子供らが金色に映えつつまろびゐしかやつりの草生昏れてしまへり  『紅』
草はらの日向のそのへんの金色はみな猫じやらし近道をせむ
きんぽうげペカペカ金色(きん)に光るのが嫌ひでもなし五月に似合ふ  『母系』

最後の歌にあるように、好んだ風景だったのだろう。考えてみると、植物が「金」という金属質な表現で語られるときに生じる、非現実感は面白い。正確な色を選択することをやめ、カンバスに大きく金色を広げたような表現には、色への拘りはなくとも、対象風景への拘りが感じられる。

同様に、表現風景への拘りという視点で、河野裕子が繰り返し描写したものがもう一つある。

夜空快晴のこの青さ 人も居ぬ鳥も居ぬ万華鏡夜ふけに覗く  『桜森』
信楽(しがらき)の空群青に冴ゆる夜を水壺(すゐこ)()り合ふ耳()してゆく  『はやりを』
青空の夜がずんずん寄せて来て海釣りの父と子いまだ戻らぬ  『紅』
憂うつな桜がどこにも咲きをればあをきまま空は憂うつに昏る  『歳月』
晴れしまま昏れむとしをる空の青厨に見上げ水使ふなり
どこまでも夜のあをぞら見ゆる夜()は亡き友の(よはひ)となれり  『母系』

これらの歌では、暮れから夜にかけての空の色が、青色(群青を含む)だと表現されている。河野裕子が、私達よりも幾分か明るい夜空を見ていたことは、非常に興味深い。

言われて見ると、確かに夜空には色があるが、普段は気にも留めないのではないだろうか。太陽が出ていないのだから闇の色、つまりは空は真っ黒だという認識で、生活には差し障りはない。

しかし、夜空の色に気づくほどに、まじまじと見つめてしまう主体がいる。万華鏡・水壺・帰ってこない家族・憂うつな桜と、いずれの歌にも、どこかしら神秘的であったり、不穏な雰囲気が漂っている。もし、空を単なる黒と表現していたら、これらの歌の雰囲気は随分とつまらないものになっていただろう。

紅・金・青という色を取り上げてきたが、色は「対象の色」を表現するに留まることはない。次のような色はどうだろう。

ひと日こもりて出づれば風の夕べなり火色の人参ひとは抱き来  『はやりを』
誰もみな京ことばなる錦小路錦市場に飴いろの猫  『体力』

赤色ではなく「火色」と表現されると、人参が燃えているかのごとく感じられる。また、茶色ではなく「飴いろ」と表現されると、猫の毛並みの艶やかさまでが感じられる。ここでは、固形の飴ではなく、水飴に近いような柔かな飴を想像したほうが、猫のしなやかさに繋がり、歌の読みを深くするだろう。いずれも、色の表現が「対象の性質」にも影響を与えている好例である。一方、こんな歌はどうだろう。

あの枇杷が欲しいと思ふ届かねば光つて見せるびは色の枇杷  『葦舟』

枇杷の色は当然、枇杷色であるが、それをあえて書くことによって、枇杷が枇杷色をしていることの特別さ、つまりは物が固有の色を持つことの不思議さを、読み手に手渡している。絵画ではなく、言葉による表現であるからこそ描ける場面である。

ここまでは、実際に存在する物に対する、河野裕子の色使いをみてきた。対象をよく見た上で色を選択するという意味において、視覚による表現である。では、遺歌集『蝉声』に収められている、死の前日に詠まれた次の歌はどうであろう。

死は少し黄色い色をしてゐしか茗荷の花は白黒(モノクロ)であつた  『蝉声』

一首前の歌に「死がそこに待つてゐるならもう少し茗荷の花も食べてよかつた」とあるが、茗荷の花は、そうそう食べるものではないだろう。どこかしら、夢を描写しているような感じがある。平易な言葉で構成されているものの、読み解き難い歌であるが、河野裕子のこれまでの歌の色使いから、読み解けないだろうか。

まず、茗荷の花については次の歌があり、河野裕子にとっては、どこか自身と重なるところのある親しみの持てる花であったと言える。

鬱がちの家系の(さき)に咲きゆるび茗荷のはなのごときわれかも  『はやりを』

その茗荷の花が白黒(モノクロ)であるとは、どういうことであるかを考えるために、茗荷の花の色を確認しておきたい。

炎天のまつしろの下に咲きをれどもの陰の花めうがの花は  『紅』

右の歌にあるとおり、「炎天のまつしろ」のなかでも区別がつくため、完全な白ではない。実際には、微かに黄色く色づいており、河野裕子もそう認識していたと思われる。

茗荷咲く日本の夏の日盛りが黄変写真の昔のやうな  『紅』

この歌はアメリカ在住時の歌であるが、河野裕子にとって茗荷の花は、やはり黄色と結びついていたと考えられる。

「死は少し...」の歌に戻ろう。自身を重ね、黄色くなった写真のように懐かしさを感じていた茗荷の花が、白黒(モノクロ)写真のように色を失っている。その一方で、まるで茗荷の花の色が移ったかのごとく、死というものにわずかな黄色を感じる。そこに、河野裕子の精神のようなものが、肉体をゆっくりと離れていく様を見るのは、決して誤りではないだろう。

河野裕子の死から二年が経とうとしている。画家とは異なり、ひとりの歌人を喪うということは、ひとつのパレットを完全に失うことでもある。

金色に広がる草原を好み、夜空の色に心を奪われることの多かった河野裕子の色使いを振り返りつつ、そのことを強く思う。


初出:「短歌」 2012年8月号 特集 河野裕子




歌集 蝉声:河野裕子

「小島なお」ひとりについて

噴水に乱反射する光あり性愛をまだ知らないわたし
春風のなかの鳩らが呟けりサリンジャーは死んでしまった

二冊の歌集、『乱反射』(2007年)・『サリンジャーは死んでしまった』(2011年)から、歌集の題に採られた歌を引いた。

一首目は、第50回角川短歌賞受賞作「乱反射」に収められた歌であり、さまざまな場所で引用された。上の句における離散する光の輝きは、主体をつつむ青春時代のまぶしさに直結しており、下の句の自己規定へとつながる。「性愛をまだ知らない」という言葉には、「いつかは性愛を知るわたし」への予感が含まれており、純潔性の単純な表白ではない点が、歌の印象を深めている。二首目については、歌集のあとがきに「青春小説の歴史に名を残したサリンジャーの死と、学生という青春時代を過ぎたわたしの人生の区切りという意味を込めて、このタイトルにしました」とあり、鳩が呟くという空想の中で、暗示のようにサリンジャーの死を自らに言い聞かせている主体が確認できる。

「性愛をまだ知らないわたし」と「サリンジャーが死んでしまったわたし」。小島なおは、一方通行である人生の時間軸おいて、区切りとなる線を意識する歌人だと言える。

本稿では、高校時代から大学卒業・就職へと、多感な時期に出された二冊の歌集を通して、小島なおの変化を追ってみたい。

十七歳から二十歳までの歌を収めた『乱反射』では、切り取った場面を丁寧に描写する歌が目を引く。

牛乳のあふれるような春の日に天に吸われる桜のおしべ
エタノールの化学式書く先生の白衣に届く青葉のかげり

短歌ではありふれた春と桜という歌材が、「牛乳のあふれるような」という形容によって鮮やかに描かれた一首目。何気ない授業の一場面の中に「化学式と青葉」、「白衣の明るさと影」の対比が織り込まれた二首目。共に奇を衒った表現を用いることなく、捉えた場面の美しさをじっくりと引き出しているに特徴がある。

たくさんの眼がみつめいる空間を静かにうごく柔道着の群れ
もう二度とこんなに多くのダンボールを切ることはない最後の文化祭
この二冊の共通点は雨ですと西日の強い教室で言う

観る者は「眼」に、観られる者は「柔道着」に還元され、視覚のみで構築された校内風景。ダンボールに刃を入れる際の触感で語られる学校行事の一回性。そして、きっぱりとした「雨です」という声の響きに代表される授業風景。

春の桜、化学の授業、最後の文化祭。いずれの歌においても、短い時間であるはずの出来事が、端的な把握と表現によって、まるで永遠に続く場面であるかのごとく感じられる。もはや読者にとって二度と取り戻せないものが、永遠そのものとして差し出されている。

しかし、穿った見方をするならば、これらの優れた歌は、年長であろう読み手として「十七歳から二十歳の学生に詠んで欲しかった歌」に留まっているように感じられる。

『乱反射』を通して浮かび上がる、擦れたところもなく、背伸びをするでもない、今時珍しいとも言える学生は、確かに多くはないのかもしれない。それでも、「小島なお」ひとりよりも、遥かに多い。

そこで、小島なお個人の感情を伝えようとする歌、という視点で歌集を読んでみる。すると集中には、説明しがたい気持ちを詠んだ歌が多くあり、この点に作者独自のこだわりがあるように感じられる。いくつか引いてみたい。

なんとなくかなしくなりて夕暮れの世界の隅に傘を忘れる
なんでもない悩みに悩むわれつつみ映画のエンドロール流れる
樹の影もわたしの影もながくなり小さなことで泣けてくる秋
晴れの日はなぜか静かにかなしくて変わらずにある四月のポスト

これらの歌では、説明しがたい気持ちが「なんとなく」「なんでもない」「小さな」という言葉で、読み手にそのまま差し出されている。このような気持ちへのこだわりもまた、いかにも「十七歳から二十歳の学生」らしい。しかし、他人にとっては何ともないことや、一見小さなことだと思えることこそが、個人を形成する大きな要素であるだろう。その要素を、短歌という詩形の握力でつかみ出すことが、大切ではなかったかと思われる。

歌を通して、学生・若者という集合から如何に己を削り出してゆくのか。『サリンジャーは死んでしまった』はその期待の中で刊行された。

同歌集には、小島なおが二十歳から二十四歳までの歌が収められている。前歌集と比べると、まずもって就職や認知症となった祖父についての歌など、主題の幅が広がっていることが分かる。とりわけ、家族の歌には特有のあたたかさが感じられる。

ムササビのような寝姿恋人がいると思えずわが妹よ
すぐ人に頼るいもうと六月の開かれた窓のように在りたり
カキフライ食べつつ母はおもむろに五本指ソックスの良さを説くなり
草原を全力でかけてゆく人のいる四月あれは母かもしれず

妹と母についての歌を二首ずつ引いた。人に見せられないような奔放な寝相の持ち主であり、あっけらかんと人に頼る妹は、ムササビや窓に譬えられている。一方、母の何にも縛られない振る舞いは、ユーモラスに描かれている。

これら対象の人柄をうまく伝える歌とともに、次に引くような彼らと自己とを結びつける歌も存在している。それらが、翻っての小島なおの自己描写となっている。

たくましい男子(だんし)のような妹に将来助けてもらう計画
少しずつ母に似てきているようだ犬ばかり目につくようになる

「すぐ人に頼るいもうと」に対して、一方では頼もしく思っているちゃっかりとした自分。思いもつかない行動をとる母に、気が付けば似てきている自分。小島なおの個性と、家族への眼差しが十全に表れている歌と言える。

歩きつつ祖母の呼吸を聞いておりひるがおの咲く浜までの道
家族四人気球に乗りし夏の日をときどき誰かが話し始める

さらに二首引いた。共に優れた家族詠であり、『乱反射』に見られた、特定の場面を切り取り、時間を超えた空気感を歌に与える力が、『サリンジャー...』においても発揮されていることが見てとれる。

一方で、『乱反射』では、「なんとなく」というような言葉をともなって表現されがちであった、自身の微細な気持ちについてはどうだろうか。

なつのからだあきのからだへ移りつつ雨やみしのちのアスファルト踏む
きみとの恋終わりプールに泳ぎおり十メートル地点で悲しみがくる
植物園ときおりきみを見失いそのたび強く匂い立つ木々

季節とともに景色や身に付けるものは変わるが、自身が変わることはない。しかし、「なつのからだ」と「あきのからだ」と提示されると、確かな違いの存在に気付かされる。読み手の意識を身体へ向けたうえで、提示する下の句は、足の裏にくきやかな感触を残す。二首目では、十メートル地点という具体が、失恋の悲しみの存在感を高め、個人的感情を損ねることなく読み手に届けている。三首目では、恋人の姿を見失うときの不安と、それに連動して冴えてくる感覚とが、木々の匂いの強さを描くことによって、感情を直接的に示す言葉を用いずに表現されている。

このように、『サリンジャー...』では、表現しがたい感情を、具体によって伝える歌い方が導入されている。さらに、次の歌のように、矛盾する気持ちや理由が説明できない事柄を、そのまま詠んだ歌は印象深い。

なにからも逃げ出したいと嘆きつつあしたの服はもう決めてある
いつからか雲を数える癖がつき鰯雲ならぜんぶでひとつ
眉毛ならすこし伸びてる方が良い春に出会った人ならばなお

息苦しい世界にあっても、また明日、家から外に出ることを前提としている自分。服を選ぶという行為に、少なからぬ芯の強さが感じ取れる。二首目、雲を数えるという癖は、こころの余裕の表れだろうか。いわし雲をまとめて一と数える大雑把さが、感情の豊かさを示している。三首目では、なぜ眉毛が伸びている人がいいのかも、春に出会えばなぜ一層そうであるべきなのかも、読み手には分からない。しかし、論理的な説を明することなく、きっぱりと言い切る様に、読み手としては深く頷いてしまう。

「性愛をまだ知らないわたし」から「サリンジャーが死んでしまったわたし」へと、二冊の歌集を通して小島なおの変化を追ってみた。そこには、若者の代表であり、集合的な存在であった「わたし」から「小島なお」ひとりが削り出されていく過程が確認できる。

さて、その先には、どのような「小島なお」が描かれるのだろうか。若くして歌の世界に足を踏み入れた作者だからこそ、そしてまた、時間の流れに敏感な作者だからこそ紡ぎ出せる歌に期待したい。

歳月は誰のものにもあらざるを十和田湖の深き水底覗く
「弦」十九号「虹鱒」

初出:「歌壇」 2012年8月号




歌集 サリンジャーは死んでしまった:小島なお
 
歌集 乱反射:小島なお

毎年12月に発行される角川の短歌年鑑に「全国結社・歌人団体 住所録・動向」が付されています。誌名・所在地・電話番号などの基本情報はもちろんのこと、ここ数年は、出詠者数・結社形態などの項目が足されるようになりました。

新しく足された項目には、角川短歌編集部の短歌の世界の全体像を描きたいという意思や、その根底にあるであろう、短歌の世界に対する危機意識を感じるのは、私だけではないかと思われます。

私は、人口の減少や人々の関心の多様化のなかで、何もしなければ短歌の世界は衰えていくように感じていますので、短歌を読む/詠む人が増えて欲しいなと、祈るように思っています。しかしながら、短歌の現状がどのようであるのかがなかなか見えてこない点に、いつも歯がゆい思いをしてきました。「歌誌・団体数と歌集発行数:2012年」を調べたりしているのも、単に数をかぞえることが好きだからではなく、このような気持ちからです。

短歌年鑑を五年おきぐらいでさかのぼって調べたところ、どうやら1980年の角川短歌年鑑においても、ちかしい項目が調査されていたことが分かりました。1980年と2012年の短歌年鑑の住所録を集計してグラフにしてみましたので、簡単な解説をつけたうえで以下に公開いたします。

手作業で集計をしていますので、数値には多少の誤りも含まれているかもしれません。また、角川の短歌年鑑には載っていない結社や団体もあると思います。細かな数値に拘泥されることなく、おおまかな傾向をつかむ助けになれば嬉しいです。

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上図は、短歌結社・同人誌などの組織の数を比較したものです。「全体」と、その内数である「結社」「同人誌・超結社・個人誌など」に分け、それぞれ1980年と2012年の状況をグラフにしています。以降のグラフにも共通する点として、二点を記します。

  • データ元である住所録には、「結社の支部組織」が掲載されていることがありますが、本部組織の所属人数と重複している可能性が高いため、除いて集計しています(例:「水甕」や「コスモス」の支部などは、除いてます)。
  • 「同人誌・超結社・個人誌など」(以降、単に「同人誌など」)は、「学生短歌会」なども含まれています。また、住所録に「結社形態」の記載がなかった組織で、調べてもわからなかったものも含めています。つまるところ、「結社」を自称していない組織をひとまとめにしたものです。結社と掛け持ちして所属できるような組織が多いと思われます。(例 : 「かばん」「桟橋」「早稲田短歌」「pool」など)

グラフには、「結社」の場合、1980年に存在していた335結社の内、2012年に残っているものが168結社であり、新しくできたのが92結社ということが記されています。総数としては、335結社→260結社と約20%減少していることになります。減少しているとはいえ、今でも260もの「結社」が存在しているんですね。私がぱっと名前をあげられる「結社」は20結社ぐらいですので、この点は認識を新たにしました。

一方で「同人誌など」については、1980年に存在していた224団体の内、現存するものは半分以下であるにもかかわらず、120団体の新設により、総数としては10%程度の減少に留まっています。「結社」と比べたときの、新陳代謝の高さがうかがえます。

「結社」にせよ「同人誌など」にせよ、30年以上続くということはかなり難しいことだと思いますので、継続率自体は悪いものだとは感じていません。ただ、「結社」に関しては、新設される数が解散する数をカバーできていない点は気になります。もし、"組織を作るなら、結社ではなく同人誌"、という傾向にあるのであれば、結社の数は今後も減りつづける可能性が高いです。

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上図は、短歌結社・同人誌などの会員数・出詠者数を示したものです。図中にも記していますが、1980年の住所録には「会員数」、2012年の住所録には「出詠者数」が記されているので、残念ですが厳密には比較できるものではありません。「会員」の全てが「出詠」するわけではありませんので、当然ながら後者の方が数としては不利となります。

参考例ですが、結社誌「塔」2012年12月号の「出詠率」は80%だったようです(cf:塔短歌会:編集部ブログ「出詠率」)。他結社や同人誌などと比較して、高いのか低いのか分からないのですが、この「出詠率80%」というのを2012年の平均出詠率と仮定して、2012年の「出詠数」を「会員数」に割り戻して考えてみた場合(図中では橙の点線で書かれたグラフ)、以下のようになります。

  • 「全体」 : 1980年:131,808 会員 → 2012年:推定 70,636 会員 (46%減)
  • 「結社」 : 1980年:108,520 会員 → 2012年:推定 58,874 会員 (46%減)
  • 「同人誌など」 : 1980年:23,258 会員 → 2012年:推定 11,763 会員 (49%減)

会員数の大きな減少が見て取れます。仮に、1980年から2012年の間に会員数が単純減少していたとした場合、毎年の会員減は以下のようになります。

  • 「全体」 : 毎年 約 1,900 会員減
  • 「結社」 : 毎年 約 1,550 会員減
  • 「同人誌など」 : 毎年 約 350 会員減

「結社」全体で毎年1,550会員減ということは、感覚的には中規模の結社2つ分ぐらいが毎年消えていっていることになります。これは、かなり怖い数字です。逆に言えば、これくらいの数を補なっていけば、結社人口の減少は食い止められるということですが、どうすればいいのか頭をかかえてしまいますね...

2012現在、なんらかの短歌組織に属している人は延べ数で約70,000人。「同人誌など」に属している人には「結社」にも属している人も多いでしょうから。実数では、65,000人ぐらいになるのでしょうか。30年ほど前から半分近くになっているということと合わせて、この数字は覚えていてもよいかもしれません。

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上図は、短歌結社・同人誌などの1組織あたりの会員数・出詠者数を示したものです。会員数、出詠者数の考え方については前図と同様ですので、比較するためには、今回も2012年の会員数を80%で割り戻すなどの補正が必要となります(図中では橙の点線で書かれたグラフ)。

この32年間で「結社」の数は20%、「同人誌など」の数は10%減ったわけですが、「1組織あたりの会員数」はもっと大きく減少していることが分かります。昔と比べ、大規模な組織が減っていることが想像されます。

減少率の面では「同人誌など」に比して低いのですが、大変なのは「結社」の方ではないでしょうか。「結社」を続ける以上は運営費が必要です。「会員からの一定の寄付があるならば、300会員居れば何とかやっていける」ということや、「1,000会員が運営費で赤を出さないためのラインだ」ということを、個人的に耳にしたことがあります。(松村正直さんのブログの記事が参考になるかと思います。cf:やさしい鮫日記:「短歌人」2012年12月号)

運営費の赤/黒の分岐点は、当然ながら会費や発行頻度、結社誌の頁数などによって変わってくるものですが、新しい結社で会員が増加傾向にあるときならばまだしも、減少傾向に入って来たときには、かなり重たい問題になってくるのではないでしょうか。例え少人数の結社で、主催者が自身の財布から運営費を捻出することでやりくりできる状況であったとしても、その主催が亡くなった後に、誰も結社を引き継げなくなってしまうことは想像に難くないです。

短歌の長い歴史の中で考えるならば、「結社」とは近代にできた一時的な組織形態だと考えることもできるのかもしれません。「作品はインターネットや同人誌で発表すればいい」「結社でなくても歌会はできる」という声もあると思います。たしかにそうだと思います、が、それは「自分の歌」や「自分自身」についての話にすぎないですよね。「(自分の場合、)作品はインターネットや同人誌で発表すればいい」「(自分の場合、)結社でなくても歌会はできる」という考えかたの延長には、「インターネットや同人誌で作品を発表できる人」と「結社でなくても歌会ができる人」だけが残るという貧しい世界が待っているだけかもしれません。

結社がかたちを変えて残るのか、何かと入れ替わって行くのか、私にはまだ分かりません。ただ、どちらの場合であったとしても、「結社」というものが短歌の世界においてどのような役割を果たしてきたのかを、再度検証したうえで、これからの短歌の世界について考えていく必要はありそうです。(私自身が結社に所属していないだけに、なんとも説得力に欠けるのは苦しいのですが、もはやそれを強みにしていくしかありません)

新しい挑戦や新しい失敗に対しては寛容であり、長く続いてきたことを変えたり棄てたりする場合には慎重でありたいと思っています。このように短歌の世界の現状把握から始めなければならないこと自体が、短歌の状況の多くを語っているように感じています。それでも焦ることなく、まずは一歩、あるいは、靴を履くことからはじめていければと思っています。

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2012年の振り返り

短歌についての文章、座談会の増加

昨年は座談会やトークイベントが多かった一年でした。

  • 震災特集 二世代座談会 「3.11以後、歌人は何を考えてきたか」 (角川短歌 2012-3)
  • トークイベント".DOCKTALK デザインの内と外"「モノの見方」 (2012-3-30 @ 神戸)
  • 特集 佐佐木幸綱 合評鼎談「最新歌集『ムーンウォーク』を読む」 (角川短歌 2012-9)
  • 第84回 作品季評・前半 (短歌研究 2013-1)
  • 新春座談会「新しい歌とは何か」 (角川短歌 2013-1)

事前の準備にはかなり時間がかかるのですが、なによりも自身が考えていることの整理に繋がります。よい発言ができることに越したことはないのですが、私にはまだ難しいです。まずはよい整理をすることができ、それを確実に伝えられるようにすることが目標です。

ときには、座談会では若手の代表として、トークイベントでは歌人の代表として、など何らかの代表として発言を求められることもあります。回答に困る質問ではありますが、私個人の考えと混ざって解釈されてしまわないように、発言ごとに"付箋"をはりつつ回答することが、とても大切だと感じています。

その意味では、「3.11以後、歌人は何を考えてきたか」は、かなり重量のある座談会でした。振り返ると、そもそも世代を二つに分けての座談会であったこと自体が、震災との関わりの濃度が焦点や起点になりやすいということを、端的に表していたように思います。つまり「各世代の代表」というものを立てられないということですが、もっと強い力で「人は何かの代表たりえない」ということをつきつけられた座談会だったように思います。すべては現在進行形の出来事であり、これからも折にふれて振り返るであろう座談会でした。

「".DOCKTALK デザインの内と外"「モノの見方」」は広い意味でのデザインに興味がある方々の前で、私の作歌方法についてお話させていただいたイベントでした。分かりやすく言ってしまえば、創作活動というものは「モノの見方」と「表現の方法」で構成されるものだと考えることができます。後者「表現の方法」の違いが直接的に絵画、短歌などのジャンルの区別に繋がるわけですが、前者「モノの見方」に焦点を絞った企画であったため、「異なるジャンルを繋ぐ」ためのイベントではなく「異なるジャンルが繋がっている」ことからスタートできるイベントになったと思います。今後も、このような他ジャンルとの接点が増やしていければと思っています。


短歌についての文章

特定の歌人について文章を書く機会が二度ありました。

  • 河野裕子のボキャブラリー「歌人のパレット」 (角川短歌 2012-8)
  • 「「小島なお」ひとりについて」 (歌壇 2012-8)

複数の歌集を通して読むことで浮かび上がってくるものがあり、それは「歌を読む」を通したうえでの「人を読む」という営為の発生だと感じています。ただ、その面白さを表現することができればと思っているのですが、書くとなるとなかなか難しいものがあります。読み書きの力を伸ばしていきたい分野です。

現時点で全集のない河野裕子の歌集を探して読むことには、かなり苦労させられました。結果として締切りまでに手に入らなかった歌集もあり、悔しい思いもしました。歌集というものの広がりや流通について、あれこれと考えるきっかけになりました。


作歌ペースの減少

一方で、発表した作歌はやや控えめとなりました。結社や同人誌に属していないため、依頼があったときに歌を詠むことが中心となります。さすがにそれでは歌数も少なくなって当然ですので、秋以降少しずつ歌を詠み溜めはじめるようになりました。今年は、もうすこし速いペース、かつ、長めの連作を詠むようにしようと思っています。


電子書籍歌集の上梓

昨年はKindleにて第2歌集『うづまき管だより』を上梓しました。電子書籍という形式ですので試みとしては新しいものではありますが、これまでの作品を一冊にまとめる意識においては、紙の歌集をまとめることと違いはありませんでした。

電子書籍で歌集を出すということがどのようなことか、個人の体験ではありますが、それについてはのちの機会にでも記したく思っています。短歌同人誌や、すでに入手が難しくなった歌集が積極的に電子書籍化されることは、非常に意義があることだと考えており、その流れを作り、後押しすることができればと思っています。

歌集が自費出版中心であることや、できた歌集を贈呈する文化には、それが成立した背景があり、良い点があると思っています。一方で、歌集が容易に絶版になりやすく、贈呈の輪の外に立つ場合にはかなり高い金額を歌集に払うことになるという課題もあります。その課題の一定の解決になると考えています。


小説と水彩画

「群像」にて小説を書く機会を得ることができ、『フェルミ推定の夕暮れ』という短編を発表いたしました。書いているときは、普段短歌を詠んでいるときと、明らかに脳の異なる場所を鍛えている感覚と、同じ場所を働かせている感覚とが共存し、非常に楽しい時間でした。

また、一昨年はデッサンが中心であった絵の勉強も、昨年は一歩進めて水彩画を学ぶようになりました。短歌と比べた場合、絵の具や筆という道具の存在や、やり直しがしづらいことによる特有の時間感覚は、一年経っても新鮮です。それでも、水を用いることから生じる、いかに細部を描くことなく細部を想像させられるか、という点には短歌との共通点を感じています。

短歌、小説、水彩画の相違点は、先ほど述べた「モノの見方」と「表現の方法」という考え方に通じているように思います。相互に良い影響をもたらすように、と意識しすぎるのも形を変えた横着のように感じますが、楽しみながら続けていければと思います。


最後に

雑感的な振り返りになってしまいましたが、大きな変化のある一年にしたく、今年が始まるのをずっと楽しみにしていました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。