読めない手紙

60年安保改定の激動の年に21歳で自死した福崎町出身の歌人岸上大作(1939―60年)が亡くなる2年前に、思いを寄せた女性に送った絵はがきが見つかった。クリスマスイブに切ない恋心をつづったラブレターだ。(中略)緑のインクで甘えるような言葉をびっしりとつづっている。絵はがきの絵はゴッホの「糸杉と星の道」だ。

 

朝日新聞インターネット版 asahi.com 2010.12.22の記事(http://mytown.asahi.com/areanews/hyogo/OSK201012210163.html)より

岸上大作のはがきが見つかったとのニュース記事を、昨年の暮に読んだ。記事にははがきの文面も一部引用されており、一方的でやや過剰とも思えるそのメッセージは、なんとも岸上らしかった。多くの人に読まれることを前提とした遺書「ぼくのためのノート」とは異なり、ひとりと向きあう時にのみ見せる岸上の素顔が思い浮かぶようだった。

すでに世を去った作家の手紙が、後世に出てくることは珍しくない。記念館などの展示において、直筆の手紙の前に長く留まる人は多いだろう。プライベートを覗くような後ろめたい気持ちもするが、単なる「資料」としてではなく「史料」として考えた場合、その価値は容易に換算されるものではない。例えば、中城ふみ子と中井英夫の往復書簡についても、それ自体がどこか書簡体小説めいていて、居住まいを正して読んでしまう。

あらためて考えると、私達はなぜ他人の手紙を読めるのだろうか。手紙が見つかったからじゃないか、という答えを聞きたいのではない。他人の手紙が読めるのは、手紙が持つ二つの性格によるものだと思われる。一つは、手紙は送り手と受け手以外の誰かが見つけられるものであること。そしてもう一つは、筆跡が持つ証拠性である。

馬鹿げた想像かもしれないが、岸上大作と意中の女性とが、中城ふみ子と中井英夫とが、電子メールで同様のやりとりをしていたら、内容が公開されることはなかったのではないだろうか。自分の死後に、自分が書いたり受け取ったりしたメールを、誰かが読めるようにする人はほとんどいないだろう。また、岸上の場合のように受け手が存命であったとしても、故人が書いたメールであることを如何にして証明しよう。

インターネットの時代において、コミュニケーションのあり方は随分と変わった。電子メールでの私的なやりとりは、死後もIDとパスワードで守られ続ける。それを公開せよ、ということが言いたいわけではない。膨大な情報がデータ化され、記録され続けるこの情報化社会においてこそ、分からなくなってしまうことは意外に多いのではないだろうか。

私は十年後も、今の短歌の世界をありありと思い出せるかもしれない。では、百年後はどうだろうか。各誌に掲載される時評それ自体は貴重なものではあるが、歌に関わる者同士に生じた心の交流を、浮き彫りにすることを企図されたものではない。それらを担保してきた手紙のようなものは、もはや書かれないのが現代である。

短歌という詩型が何世紀も残り、後世に潤いをもたらすことを私は望む。その意味においては、歌さえ残ればよい。ただ、今もどこかで第二、第三の岸上大作や中城ふみ子の「手紙」が電子空間に吸い込まれ続けていることを思うと、やるせない思いがする。

 

初出:白夜短歌会 2011年9月号