2012年の振り返り

  

● 短歌についての文章、座談会の増加

昨年は座談会やトークイベントが多かった一年でした。

  • 震災特集 二世代座談会 「3.11以後、歌人は何を考えてきたか」 (角川短歌 2012-3)
  • トークイベント”.DOCKTALK デザインの内と外”「モノの見方」 (2012-3-30 @ 神戸)
  • 特集 佐佐木幸綱 合評鼎談「最新歌集『ムーンウォーク』を読む」 (角川短歌 2012-9)
  • 第84回 作品季評・前半 (短歌研究 2013-1)
  • 新春座談会「新しい歌とは何か」 (角川短歌 2013-1)

事前の準備にはかなり時間がかかるのですが、なによりも自身が考えていることの整理に繋がります。よい発言ができることに越したことはないのですが、私にはまだ難しいです。まずはよい整理をすることができ、それを確実に伝えられるようにすることが目標です。

ときには、座談会では若手の代表として、トークイベントでは歌人の代表として、など何らかの代表として発言を求められることもあります。回答に困る質問ではありますが、私個人の考えと混ざって解釈されてしまわないように、発言ごとに”付箋”をはりつつ回答することが、とても大切だと感じています。

その意味では、「3.11以後、歌人は何を考えてきたか」は、かなり重量のある座談会でした。振り返ると、そもそも世代を二つに分けての座談会であったこと自体が、震災との関わりの濃度が焦点や起点になりやすいということを、端的に表していたように思います。つまり「各世代の代表」というものを立てられないということですが、もっと強い力で「人は何かの代表たりえない」ということをつきつけられた座談会だったように思います。すべては現在進行形の出来事であり、これからも折にふれて振り返るであろう座談会でした。

「”.DOCKTALK デザインの内と外”「モノの見方」」は広い意味でのデザインに興味がある方々の前で、私の作歌方法についてお話させていただいたイベントでした。分かりやすく言ってしまえば、創作活動というものは「モノの見方」と「表現の方法」で構成されるものだと考えることができます。後者「表現の方法」の違いが直接的に絵画、短歌などのジャンルの区別に繋がるわけですが、前者「モノの見方」に焦点を絞った企画であったため、「異なるジャンルを繋ぐ」ためのイベントではなく「異なるジャンルが繋がっている」ことからスタートできるイベントになったと思います。今後も、このような他ジャンルとの接点が増やしていければと思っています。

● 短歌についての文章

特定の歌人について文章を書く機会が二度ありました。

  • 河野裕子のボキャブラリー「歌人のパレット」 (角川短歌 2012-8)
  • 「「小島なお」ひとりについて」 (歌壇 2012-8)

複数の歌集を通して読むことで浮かび上がってくるものがあり、それは「歌を読む」を通したうえでの「人を読む」という営為の発生だと感じています。ただ、その面白さを表現することができればと思っているのですが、書くとなるとなかなか難しいものがあります。読み書きの力を伸ばしていきたい分野です。

現時点で全集のない河野裕子の歌集を探して読むことには、かなり苦労させられました。結果として締切りまでに手に入らなかった歌集もあり、悔しい思いもしました。歌集というものの広がりや流通について、あれこれと考えるきっかけになりました。

● 作歌ペースの減少

一方で、発表した作歌はやや控えめとなりました。結社や同人誌に属していないため、依頼があったときに歌を詠むことが中心となります。さすがにそれでは歌数も少なくなって当然ですので、秋以降少しずつ歌を詠み溜めはじめるようになりました。今年は、もうすこし速いペース、かつ、長めの連作を詠むようにしようと思っています。

● 電子書籍歌集の上梓

昨年はKindleにて第2歌集『うづまき管だより』を上梓しました。電子書籍という形式ですので試みとしては新しいものではありますが、これまでの作品を一冊にまとめる意識においては、紙の歌集をまとめることと違いはありませんでした。

電子書籍で歌集を出すということがどのようなことか、個人の体験ではありますが、それについてはのちの機会にでも記したく思っています。短歌同人誌や、すでに入手が難しくなった歌集が積極的に電子書籍化されることは、非常に意義があることだと考えており、その流れを作り、後押しすることができればと思っています。

歌集が自費出版中心であることや、できた歌集を贈呈する文化には、それが成立した背景があり、良い点があると思っています。一方で、歌集が容易に絶版になりやすく、贈呈の輪の外に立つ場合にはかなり高い金額を歌集に払うことになるという課題もあります。その課題の一定の解決になると考えています。

● 小説と水彩画

「群像」にて小説を書く機会を得ることができ、『フェルミ推定の夕暮れ』という短編を発表いたしました。書いているときは、普段短歌を詠んでいるときと、明らかに脳の異なる場所を鍛えている感覚と、同じ場所を働かせている感覚とが共存し、非常に楽しい時間でした。

また、一昨年はデッサンが中心であった絵の勉強も、昨年は一歩進めて水彩画を学ぶようになりました。短歌と比べた場合、絵の具や筆という道具の存在や、やり直しがしづらいことによる特有の時間感覚は、一年経っても新鮮です。それでも、水を用いることから生じる、いかに細部を描くことなく細部を想像させられるか、という点には短歌との共通点を感じています。

短歌、小説、水彩画の相違点は、先ほど述べた「モノの見方」と「表現の方法」という考え方に通じているように思います。相互に良い影響をもたらすように、と意識しすぎるのも形を変えた横着のように感じますが、楽しみながら続けていければと思います。

● 最後に

雑感的な振り返りになってしまいましたが、大きな変化のある一年にしたく、今年が始まるのをずっと楽しみにしていました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。